偏差値、成績が伸びる生徒、伸びない生徒の特徴と勉強法

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コラム

大学生の時に、地元の個別指導塾で小学校から高校生を相手に塾講師のアルバイトをしていたのだが、なんとか彼らの成績を伸ばせないかと苦労したのを思い出した。

 

ダメージジーンズに金髪でパーマ、部活帰りに真っ黒な肌で教えていたので我ながら塾講師としては異質だったと思うが、就活で商社の面接官に「そこまで考えていてなんで教師にならないの」と問われるくらいにはしっかりと考えて業務を全うしていたし、結構真面目に考えながらやっていたし、オーナーからは「就活しないでうちに就職して教室長やってくれ」とも言われたこともあった。

 

学生はこれから夏休みに入り受験勉強に取り組み始めるだろうし、自分が教える側の立場として経験したことを書いておくことで助かる人もいるんじゃないかと思ったのでざっくばらんにではあるが「これができないといけない」「これができるだけで圧倒的に成績が伸びる」の核となる部分を書いていこうと思う。

 

偏差値社会や成績ははっきりいってどうでもいいと思っているが、それにつながる核の能力は本当に大事だと思っている。そのことについて書きたい。

 

ちなみに今回は、教えていたのは中学生がメインだったので中学生もしくはその保護所を読者に想定する。

 

しかし、注意してほしいのだが学力が高い層に関してはここでは言及する気はない。はっきりいって上位層には教えることなんかほとんどない。

彼らに最も必要なのは自己分析とその穴埋めである。どの層がそこに該当するかというと、中学受験をする(した)層、県内模試で偏差値65以上。この層に関しては以下で書こうとしている勉強の核となる部分が大体備わっていると考えているので読まないでもいいと思う。もし読む必要があるとするならば、なんとなく中学受験したけど…という方だけであろう。

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塾に通っていた生徒の学力レベル

私が教えていた塾は埼玉県にある個別指導塾。田舎でもなければ都会でもない。首都圏ではあるもののベッドタウンである。東京都内や地方の大都市、政令指定都市の教育水準には遠く及ばない。

 

そんな地域に複数の教室が展開されており、地域密着型の形態をとっていた。通っているメインの層は公立中学校の中位から下位である。

 

おもに学校の勉強についていくことを目的とした1対2形式の一般的な個別指導塾である。県内偏差値(かの有名な北辰テスト)にして大体45-55に収まる完全なボリューム層だ。定期テストについても大体学校の真ん中程度である。

 

伸びる生徒と伸びない生徒

ほぼ全ての生徒は少なからず塾にいる間は勉強しているので大なり小なり伸びる。しかし、そんな中でも「伸びるのに時間がかかる」生徒がいるのは確かな事実であった。

 

塾講師をやる中での最大の気づきとして「勉強を教えれば良い層」と「勉強以前のことを教える必要がある層」に分かれていることに気づいた。そして、それがそのまま成績が伸びる、伸びないに直結している。

 

そして、彼らは明確にここで分けられるというポイントがある。

これがこの記事の核にして最大のポイントなのだが

 

それは「日本語を正確に理解できるか否か」である。

 

よく、国語のできる生徒は伸びるという話があるが、国語の出来そのものを判断材料として採用するのは結構難しい。

勘で当たってしまうこともあるし、テクニック的に答えられてしまうこともあるからだ。

確かに、国語ができていれば日本語が読めると判断して良いが、それは毎回文章を読み解く問題で満点を取ってくる場合に限られるといってもいい。

 

教科としての国語が解けているから伸びると早急に判断するのはやめたほうがいい。

本当に伸びる生徒は日本語が理解できているから国語ができるし、伸びるのであって、国語が解けているから伸びるのではない。

 

勉強以前のこととして、まず日本語を正確に理解できるようになる必要がある。

 

中位から下位層の特徴

塾で数年間教えていて分かったことだが、(偏差値で括るのはだいぶ乱暴であると承知しているが)偏差値55程度までの場合、そのほぼすべてが「日本語を正確に理解できていない」側にいるといっていい。

 

まず、中学生の年代の特徴として、回答の根拠をはっきりと答えられないことが多い。

 

気をつけてほしいのは、仮に正解の場合でも勘で答えていることがとんでもなく多いということである。なので、少しでも怪しいと思った場合は、時間が許す限りその答えに至った根拠を求めてみたほうが良い。

 

彼らがよく口にするのは、「わかりません」という言葉である。

 

このこと自体には何も問題はない。わからないからそう言うのは当然であるし、そのことになんの後ろめたさを感じる理由もない。

しかし、何がわからないのかを考えなければ解決には至らない。そこで、この「わからない」をしっかりと分類して把握する必要がある。

 

「わからない」を分けてみる

まず、大きく分けるとこうなる。

 

・問題文、設問に何が書かれているかがわからない(理解できない)

・書いてあることは理解できるが答えがわからない(知らない、解けない)

 

大抵は「問題は理解できるが答えがわかりません」と返ってくるだろう。しかし、それは嘘だ。騙されてはならない。彼らは問題がわからないのか答えがわからないのかすら区別がついていない場合が多い。問題がわかっていて答えがわからない場合の対処は簡単だ。思い出すか、新しい情報を入れるだけだ。解法を覚えるか、暗記する。つまりは勉強するだけである。時間をかければ誰でもできる。なのでそのまま「勉強」を頑張れば良い。

 

問題は前者の場合だ。これを見抜くのは至難の業だ。なぜなら生徒が正直に答えてくれるかわからない上に、頭の中を覗き見ることはできないからだ。

 

どうにかして彼らが「日本語を理解できているかどうか」をしりたい。

 

回答の根拠を知ることができれば彼らの思考のプロセスを読み解けると考えた当時の私は、ことあるごとに「なんで?」と訊ねるようにしてみた。

 

読めているか判断、解決する方法

彼らに質問を繰り返す中で分かったことがある。

 

”読めていない”時には「文章を読む時に目が滑っていて内容の理解まで辿り着いていない(つまり文字を眺めているだけ)」、「勝手に解釈を加えて読み違える」、「読めるところだけを拾って読むため、全てを理解することができていない」の三つに大体が分類できるということだった。

 

目の前の生徒が、文章を正しく読めているかを判断するのは結構むずかしい。問題を解けていても読めていない場合もあれば、読めていても問題を解けてない場合もあるからだ。

しかし、なんらかの方法でその判断ができるのではないかと考え、上記のように分類するためにいくつかの手法を使ってみた。その方法と理由を書く。

音読

古典的だが音読はとても良い。何が良いかというと間違えて読んでいる時にはっきりと間違えたことがわかるからだ。正しく音読できない場合には、まず文章を正しく理解する能力がないと判断していい。「勝手に解釈を加えて読み違える」クセがある場合、音読した時に文章がその生徒によって脚色されている。なので、これを正す必要がある。最も初歩的であるが文章理解のための有効なトレーニングである。

絵や図を描かせてみる

音読だけやっていても、全てが解決するとは限らない。なぜなら、正しく音読できているのに内容は正確に理解できていないという層が存在するからだ。そして、この層が最も多いのである。しかも、本人以外は理解できているのかどうかが見えてこない。

問題には正解するけど読めていないなんてことは大いにあるので、問題を解かせることによる判断はできない。

正しく読む→内容を理解する→正しい答えを導く

の一つ目の矢印をピンポイントで強化したいのに、がむしゃらに問題を解くのは得策ではない。

 

内容を理解できていないということは、文字情報の関係が正確に掴めていないということだ。

問題を解いて解説するというトレーニングを重ねるのもそれはそれでいいのだが、それは根本の解決になっているのか?という疑問があった私がとった手法は「絵や図を描かせてみる」というものだった。文字で得た情報を口頭や問題を解いて説明しろと言うと、どうしても問題文に書いてある文章がそのまま返ってきてしまうが、それを防ぐことができる。そうすることによって読んで得た情報の咀嚼ができているかがわかるのである。

 

結論

何かを学ぶにあたって、一番の基礎である日本語を正しく理解する能力が最も重要であるのだが、その能力をピンポイントで測ることは難しい。

しかし、自分が見てきた限りでは勉強が苦手な子たちは共通してこの問題を抱えており、改善に時間が取られてきた。

 

言葉を正確に理解する能力は一朝一夕で身につくものではない。

幼稚園、小学生くらいまでの親子の会話がその能力を育むだろうし、内省によっても育まれるはずだ。読書はひとつの手段にすぎない。本を読めというアドバイスは正しいが、そもそもそこまで読めないで進んできてしまっている以上、おそらく1人で本を読めるようになるまでにはかなりの時間がかかる。

 

まず、もっとも大切なのは、自分が分かっているか分かっていないかをしっかりと分類し、分かっていない部分を身につけることである。

日本語についてそれを当てはめるのであれば、「知らない単語に出会ったらその言葉を調べ、知らない漢字は読んで意味をできるようになること」である。

 

「読める」と「理解する」ははっきりと違う。

問題を解くには「理解する」必要がある。そのためには「読める」必要がある。

「読める」ためには最低限、出てきた言葉の意味、漢字は知っている必要がある。

 

 

成績を上げるために日本語の勉強をすることは一見遠回りに見えるが、全ての道に通じ、かつ最も強固な道なのである。

なぜなら我々、日本語を母語とする人間は、日本語で物事を考えるからだ。

 

思考は言語に縛られる。思考力はつまりは思考に使う言語力である。

言語を操ることで、人は学ぶ力を手に入れてきたのは歴史を見ても明らかなのだ。

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