社会人が専門学校のオープンキャンパスに行き、人生が変わろうとしている話。

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eyecatch8コラム

 

紆余曲折ありながらなんとかここまで生きてきた今日。この世に生を受けてから四半世紀が経過した。

 

 

25歳である。

 

 

まさに、人生について再考する時期がきており、今一度自分は本当は何がしたいのかを模索する日々が続いている。誰もが同じように悩む時期であると思うし、実際にすでに仕事を辞めた同期も友人もいる。

 

 

今の会社で仕事を続けるのがよいのか、それとも転職をして新しい職場に変えてキャリアチェンジを試みるのか。私と同じくらいの年齢のほとんどの人は考えることだろうと思う。

 

特に、転職するか、今の仕事を続けるかという選択で悩む人は多いと思う。しかし、今の私の眼前にはそのどちらでもない選択肢が浮上している。

 

 

それは「専門学校に入学して新しいことを学ぶ」というものである。

 

 

“わざわざ浪人までして四年制大学まで卒業した私”が、その後の人生を変えるために専門学校への入学を考えているのである。

 

 

 

なぜ、私は今このタイミングで専門学校への入学を考えているのか。そして、この後どのような人生を送るつもりでいるのか。現時点での考えには過ぎないが、同じような悩みを持つ人の参考になればという思いと、自らの備忘録とを兼ねて以下に記していこうと思う。

 

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背景

 

まず、この話の背景として先に述べたように私は四年制大学をすでに卒業している。

 

大学の専攻は経営学。一年間の浪人期間を経て大学へ進学した。

 

通っていた高校は一応学力的には地区トップの公立高校だったため、同級生の進路はほぼ100%大学進学であった。1人だけ音楽の専門学校にいったらしい。当然のように私も大学進学を希望し、そのとおりに進学した。

 

当時の興味的にも大学進学が妥当であると思っているのでそこに対する後悔はないのだが、今思えばそこまで深く考えず、無意識に大学進学を選択したような気がしないでもない。

 

環境的に王道以外へ進むことも怖かったし、そもそも進学校から専門学校に行くことはありえないとさえ思い込んでいた。それは言ってしまえば、自分の将来のビジョンが明確に描けていないということだと今になって気がついた。

 

いわゆるこれが「レールに乗る」ということなのだと今ならハッキリとわかる。

 

そして、もうひとつ。無意識に自分が好きなことを心のうちにしまいこんで、勉学と切り分けて考えてしまっていたような気がする。アカデミックとビジネス、そしてホビーは並立し得ないという考え方が当時の自分にはあったのだと思う。だから、好きなことは趣味でやればいいし、ビジネスはビジネス。あくまでも勉強をするんだというつもりで大学へ進学した。

 

そうは言っても大学での勉強は楽しかったし、それなりに充実したゼミの活動もできた。

 

希望の企業へも入れた。だからそこまで自分の人生は失敗していないとも思っていた。

 

そうして社会人になり希望していた企業に入社できた後に待ち受けていたのは、非希望部署への配属だった。総合職なのでそういうことも当然あるし、受け入れて仕事をしていた。むしろ自分にはこれが向いているんだろう、適性的にも合っているから配属されたのだし、前向きにがんばろうという気持ちを持っていた。

 

とはいえ、漠然とした不安はあった。未来はいつの日もどうなるか分からない中で、専門性の高い事務処理をメインとする職で生計を立てていくことは、この先の人生を設計していくうえでかなり怖いのは事実である。かなり特殊であるがゆえに、異職種での転職も難しくなるであろうし、RPAだのAIだので真っ先に人員削減のメスが入る恐怖と戦い続けなければならない。また、その波が一度来てしまったら、たとえ転職するにしても経験を生かすことは難しい。

 

しかし、周りの方はみな優しいし、労働環境も文句のつけようがない。上司も人格者であり、教育係の先輩社員もすごく気に掛けてくれるいい職場であることは間違いがなかった。

 

だが、その部署の業務がまったく肌に合わず、もがき苦しんで今に至っているのが現状である。

 

毎日毎日、自分が何をしたいのかを考えている。そんな日々を過ごしている。詳細は割愛するが、これもまた、今後の人生を考える上で大きな要素となった。

 

きっかけ

 

そんな中、とにかく新しいことを勉強して自分がのめりこめる趣味がないか探していた。あわよくば、そこをきっかけに転職しようかとさえ思っていた。

 

カメラ、プログラミング、読書、勉強、料理などなど。これらは今やっていることではあるが、仕事には繋がらないとなんとなく思っていた。趣味で触れるのが楽しいし、これで周りを幸せにして、かつ自分がお金をもらっていく姿を想像できなかった。たまにやるくらいがちょうどいい。

 

そこで、もうひとつなにか無心でできる趣味がほしくて、独学でデッサンを始めてみた。技術的には下手ではあるけれども、気がついたら文字通り没頭していた。

 

しかし、絵を描くのをそのまま仕事にしようと思うほど抜けた才能もないことは承知しているので、もう少し違う角度で、デッサンから分岐して模索できたらいいなと思っていた。

 

そんなときに、とあるきっかけでWebデザインを少しばかりやることになった。デザイン自体には昔から興味はあったし、デッサンも生かせないことはないだろうしといろいろ調べながら進めた。

 

そうこうしているうちに、デザインというもの自体に興味が出てきた。

 

そこからデザインについていろいろと調べてみた。調べれば調べるほどデザインは興味深かった。ジャンルも平面、立体、空間、webから、衣類にいたるまで実に幅広い。デザインの対象は森羅万象。この世に存在するすべてだった。

 

また、アートとデザインを混同していたことにも気づいた。

 

思うに、アートは「自発」。デザインは「汲み取る」。

これだけではないけれど、根底にあるのはそれぞれこういったもので、まったく別の作業なのではないかと思い始めた。

 

 

ファッションも、アートも、漫画も、映画も、勉強も、文化も、哲学もどれも好きだし、大学で学んできた経営学の話、企業に勤めて内部で見てきたことのすべてを生かせるのはデザインなのでは。そう気づいたところから、自分が本当にやりたいのはデザインなのではないかという思いにとらわれてしまった。

 

そうして自分の生き方、経験、哲学、捕らえ方や考え方をモノに落とし込んで、それを人が共感して手に取ってくれたらこれほどうれしいことはないだろうなという思いが生まれてきた。

 

「自分はモノが好きだし、本当にやりたかったのはプロダクトデザインなのかもしれない。また、モノだけにこだわることはなく、もっと広い視野をもってデザインというものに取り組んでみたい。」

 

漠然とした思いが輪郭を帯びた形となって頭の中に浮かび上がってきた。

 

ここまで考えたのがこの記事を書く2日前である。

 

そして気がつけばすぐにデザインの専門学校について調べていた。

理想の学校を見つけた。タイミング良く翌日がオープンキャンパスだった。行くしかなかった。

 

オープンキャンパスは感動の連続

 

翌日、つまりオープンキャンパスの当日。

 

学校へ向かう電車内でオープンキャンパスの申し込みを済ませた。

 

 

電車に乗りながら、久々にわくわくしている自分に気がついてうれしくなった。久しくそんなことはなかったから。

 

いざ会場に着いたら、もちろん若い学生ばかりだった。親御さんと来校している高校生もたくさんいた。おかげで年齢のことは気にならなかった。

 

そうこうしているうちに説明会が始まった。

 

説明の内容そのものが充実していたこともさることながら、夜間学部の説明もしっかりしてくれたことが好印象だった。また、個人的には学科がそれほどまでに細分化されていないことも魅力的に思えた。体系的にあらゆるデザインを学ぶという学校の教育の軸も通っているし、この学校は間違いなさそうだ、と直感的に感じた。

 

説明の終了後には各フロアで行われていた各専門学科に足を運んでみた。

 

カリキュラムからアルバイトや就職などについてもデザイン系についての知識は皆無なので、プロダクトデザインの専任講師の方を捕まえて詳しく説明していただいた。お忙しい中大変恐縮ではあったが、何しろ情報が欲しかったので、本当に様々な質問をさせていただいた。

 

こちらの質問に全て丁寧にご回答いただけて非常にありがたかった。

 

デザインのデの字すら分からないが、かなり基礎的なことを大切にしていることが伝わってきたのも個人的に印象がよかった。講師陣も第一線で活躍している方ばかりで、実務に近い指導をしてもらえることも好印象だった。

 

専門学校というものにはじめて触れた感想

 

四年制大学を卒業している身として、初めて足を踏み入れ、初めてその実態を目にした私が抱いた専門学校に対する印象は「情報の可視性が高い」ということだった。

 

カリキュラムも完全に”これ”をやるというものが組まれているし、どんな作品を作っているのか、どこが評価されるのかが非常に分かりやすかった。そして、学生それぞれがどこを目指しているのかも明確であった。

 

また、どんな学生がどんな作品を作ってどんな思いをもってどんな進路を選んだか、をポートフォリオなどから窺い知ることができるのはデザイン系学校のいいところだと思う。

 

そう感じたのは私の通っていた大学の学生の人数が多かったからかもしれないが、訪れた学校は、学生の主体性が非常に目立つのも印象的だった。積極的に来校者に話しかけ、接点を作ろうとしているのが好印象だった。

 

ワークショップなど、もの作りを身近に感じる機会を提供していたので、地域の親子連れにも良さそうだなと思った。ただ、それは学園祭のほうがより適切かもしれない。

 

 

感想をまとめると、そもそも”専門”学校なわけであって、将来の明確な目標のあるものしか門をたたかないという環境は、四年制大学のそれとはまったく雰囲気が違うものだった。社会的に見たらマイノリティーであるデザイン系の学生は、私のような外の人間から見る限りでは、つながりを非常に重要視しているようにも見えた。

 

いろいろな人と在学中に関わり、価値観や視野を広げることは人脈的な意味でも、知識的な意味でもかなり重要だと思うので、レベルの高いさまざまなデザイナーの卵と繋がることができるのはとてもいい環境だと思う。

 

ここまで見学して感じたさまざまな良かった点を上げたが、やはりなによりも、作品にかける時間と情熱が展示されているものから伝わってきたのが一番だった。

 

小手先ではない、本質的な部分を突き詰める姿勢が作品から窺い知ることができた。

 

まとめ

 

正直なところ、かなり勢いに任せて行動に移してきた。

 

しかし、この行動に対して後悔はしていないし、逆に明確な目標が生まれた。

 

おそらく私は今年の冬に受験をして、専門学校に入ることを目指して生活していくことになると思う。25歳という年齢だけれど、まだぜんぜん遅くはないと思っているし、非常に前向きな気持ちになることができている。

 

もし、私のように、なにか学び直したいことや新たに挑戦してみたい学問があるならば、夏という時期はさまざまな教育機関が見学の機会を設けているので、ぜひとも説明会やオープンキャンパスに足を運んでみることをおすすめしたい。

 

多くの場合、見学や説明を聞くのみであれば無料であると思うし、一度話を聞いたり自分の眼で確認してみて、やっぱり違うなと思えばそれはそれでいいと思う。

 

自分の頭で考えて決断を下したということに何よりも価値があり、それが後悔しない唯一の方法だと思う。この記事を読んで、一人でもなにか行動を起こしたり、考え直すきっかけになれば非常にうれしく思う。

 

お節介ではあるけれども、一人でも多くの人が後悔の無いように、人生を再考する機会を設けてみてほしい。

 

なんといっても、平成最後の夏なのだから。

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