どんな場面でも、どんな人間でも、その状況で浮かんだ考えや思いを相手に伝えるか伝えないか、迷うことは多いと思います。
殊、男女の間では。
そんな男女の恋愛における関わりの中での脳内状況もとい感情を、円卓を囲む複数人のディスカッションで表現した映画が「脳内ポイズンベリー」という作品。
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正直なところ、これまでの自分であれば、こういった類の映画は自ら選び取ることはなかっただろうと思います。
しかし、20代も中盤に差し掛かりむしろ30歳に近づいている。
そろそろ色々なことを考えないといけない年齢になってきて、自分が避けてきたことや目を背けてきたことに今このタイミングで触れておこうと。でないときっと価値観が固まったまま30代以降に突入してしまう。
そう思った私は、思い切ってこの映画を選びました。
私事ですが、高校時代は男子校に通っていました。
当時、思春期真っ盛りのクラスメイトと「女性というものは何なんだ?」という青臭い議論と、想像と勉強のために少女漫画を学級文庫(漫画)にして回し読みし、しかし、実際に経験してみないとわからないことだらけで文化祭にきてくれた女の子との距離感もわからず。そもそも少女漫画で学ぶことすら間違っているのかもしれないと思いつつ走った青春。
色々と踏み込めないまま大人になり、気づけば20代。その間に異性との関わりがなかったわけではありませんが、恋愛が人を優しくする。そんな言葉が自分の中で腹落ちしたのはつい最近のこと。
女の人ってこうやって考えるのか。ここまで深くとらえて、こうやって男と向き合うのか。
人によって程度の差はあれど、最近になってようやくそういったことが見えるようになりました。恥ずかしながら。
色々と重なる部分が多く、心に刺さるセリフや考え方が多かったので、記事にしてみようと思いラップトップに向かっています。
さて、少しづつ向き合ってみます。
恋愛コメディ『脳内ポイズンベリー』
原作は水城せとなさん、集英社Cocohanaで連載された恋愛コメディ少女漫画。
今のご時世、店頭でなくともネットやkindleで買い物ができるので、男性でも少女漫画を買いやすいですし女性でも青年漫画を買いやすくていいですね。
今度ネカフェや満喫に行ったときにでも読んでみようかな。少女漫画、ハマってしまいそうだな。
頭に残ったシーンや考えたこと(※ネタバレ含む)
自分のキャラに合うかどうかという葛藤
頭の中で繰り返されるディスカッションは、主人公の中での葛藤を示しています。
その中で出てくる言葉で引っかかった言葉が「私はそんなことを言う人間じゃない」というようなニュアンスの言葉です。
自分で自分を規定しており、”自分らしくないから”という理由で言葉を発することを抑えてしまう。誰しもがある経験なのではないかと。
頭の中で考えていることと、他人からの見え方、そこにギャップが生まれてコミュニケーションをとることでそのあとも繕い続けなければならない。誰しもそうで、だから生きることは難しい。
コンフォートゾーンを一歩飛び出すことができるか否かでその先の未来が変わる。
いいか悪いかは別にして、そんな行動を意識的にすることも必要なのかなと思わされたワンシーンでした。
自分の考える自分ではなく、思ったままのことを口にして理想の自分に近づく。
そこに生まれる困難や悩みもあるけれど、それを乗り越えていくことでまた少し新たな自分を知ることができる。そんなメッセージなのだろうと解釈しました。
恋愛だけではない。どんなことに対しても当てはまることです。
言ってくれなきゃわからない男性、察してほしい女性
痛いほどわかる。いっそのことだれか私を殴ってくれませんかとも思うほど。
楽しく会話をしていたと思えば、気づけば女性の気分が急変しておりなぜかものすごく機嫌が悪い。
でも、男からすると何が起きたのか分からない。
こんな状況で男は「なんで怒ってるの?」と訊くしかありません。でも、それを訊いても女性は真意を述べてくれないことが多いです。
そして原因は闇の中。
おそらく何か些細な一言が、女性には強く突き刺さってしまったのだと。
「冗談のつもりで、友達の関係なら、普段遊んでいる男友達の感覚なら」面白かったのであろう言い回しやジョークを女性に向けてしまうと非常にこの状況に陥りやすい。そんなように思います。私の経験上です。
女性の気持ちは繊細で、言葉を強く意識する
さて、それはなぜか。それは女性は言葉を強く意識するからです。
女性は言葉の一つ一つを非常に重く受け止める人が多いのだと思います。
逆の言い方をすると「デリカシーがない」ってやつです。
男性が何気ない会話の中で軽い気持ちで発したまるいふわっとした輪郭のない言葉が、女性に届くまでの間に鋭利なトゲとなり刺さってしまう。
そのトゲを抜くには一度心を開いてもらわないとどこに刺さったのかもわからないので抜けない。
そんな感じなのではないかと。
いや、本当に気をつけなきゃいけないなと思いました。
「そんなつもりなかったのに」とほとんどの男性は思うのです。
でも、そう伝わってしまった以上、それは重く受け止めねばなりません。
気遣いというのはそういうことも含まれるのでしょう。
距離が近くなればなるほど見えなくなる、そんなものだからこそ大切なのです。
男性の皆さん、デリカシー、大切にしていきましょう。
年齢的な問題
「男はわかってないんだよ。 時間を無駄にされるほど、女の可能性も未来も価値も削られるってことに。だからゲームとかして遊んでられるんだって。」
昨今、結婚についての価値観は多様になり、20代後半だからそろそろ~とか、そういったことも少しずつ言われなくなってきているかなと思います。個人的にはいい流れだと思っています。
しかし、女性本人が結婚、ひいては出産を望む場合はまた違うかなとも。
結婚はまだしも、出産は現段階では時間的な制約が非常に大きいものです。
男性は時間をあまり考えずに生きていることも多いのではないか。
対する女性は、願望があれば出産を見据え逆算し、生きなければならない。
その目線にギャップがあると、どうしても辛い状況に陥りがち。特に女性側は。
どんなビジョンがあるのか、それに付き合えるのかどうかは常に意識しないといずれ破綻する。それならば早い別れが訪れる。
この言葉にはその思いと、条件の差が窺えます。
相手の考えを、頭の中を覗いて完全に理解することはできないからこその言葉。
すり合わせや話し合いって本当に大事だなと。20代中盤、学生の私には胃がキリキリするほどの重く受け止めねばならない問題です。
「自分を好きになれない人間が、幸せになれるとはとても思えない」
自分を押し殺してまでする恋愛は、本当に正しいものなのか。
別れた方がいい状況。一言でいうとそんな感情に陥ってしまったのかなと。
この言葉は、プラスに考えると「大事なのは誰を好きかじゃない。誰と一緒にいる自分が好きか。ということだ。」
という次のセリフに集約されます。
誰と一緒にいる自分が好きか。
メタ的に自分を捉える。恋愛という視野が狭くなりがちな現象の中でこれができる人、幸せな恋愛をするに違いありません。
逆に言えば、この言葉を知ってから頭においておけば上手く生きられる。幸せな恋愛ができる。それほどの納得感のあるフレーズ。
他人との関わりの中で見失いがちな自分を一番大切にする、それを忘れずに生きていこう。そんな風に思わされました。
まとめ
恋愛モノの邦画。敬遠していましたが、自分の状況次第ではわかるな、と思うところと。正直、浅いなと思うところと。
半々くらいでしょうか。
ただ、人間なので、いくら理解できているとはいえ忘れてしまうことや、わかっていても実践できていないことなどは多々ある。
だから、面白いかどうかは個人個人それぞれとして、勉強になったり、再考するきっかけになるという意味でとてもいい映画だなと思います。
さて、私はこれ以上に勉強する必要があると思ったので、これからエーリッヒ・フロム「愛するということ」を読みます。
それではこの記事はこの辺で。
以上、”大事なのは誰を好きかじゃない。誰と一緒にいる自分が好きかということだ。映画『脳内ポイズンベリー』”でした。
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