渋谷から原宿に向かう途中、明治通りから脇に入ってすぐ、美竹通り沿いに存在するアメリカンダイナー「ON THE CORNER」。
その立地から、アパレル関係者や学生を中心とする渋谷の若者に親しまれてきたその店は2010年にオープンしたらしい。
「らしい」というのは自分が渋谷の街に通うようになったのは2013年なので、ON THE CORNERのほうが3年も渋谷の先輩だ。
2010年といえばサッカーワールドカップで日本代表がベスト16に入り、渋谷の街はというとすでにワールドカップの試合があるたびに人々で大混乱するようになっていたと思う。当時の自分は高校生で渋谷の街とは無縁だったのでその記憶は定かではないのだけれど。
なぜか渋谷に繰り出す若者、なぜかあの場所で騒ぎたい若者が入り乱れる様子を、この店は一つ隣の通りから隠れて見守っていたのだろうか。
スクランブル交差点はすり鉢状になっている渋谷の街の谷底。
谷底には様々なモノが溜まる。
自分自身その中の一人だったかもしれないし。今もそうかもしれない。
まあそれはいい。
ON THE CORNERのある美竹通りは、青山方面と渋谷をつなぐ存在で、渋谷の街の中では割と静かなエリアだ。
知らない人はあまり使わない通りで、自分もその道を知るまでは足を踏み入れることもなかった。
しかし、今はなくなってしまったのだけれど、マイケルジョーダンの手形が飾ってあった”ジョーダンコート”なるストリートのコートで友達とバスケをすることがあったりと、その存在を知ってからは何かと思い出深い通りになっていた。
駅や喧騒から少し離れられる程よい立地が気に入って、友達とグダグダと話をするのによく使っていた。
いわゆる、行きつけのカフェ。もといダイナー。
閉店するというニュースを目にして、いざ振り返ってみると色々な思い出がある。
大学の卒業旅行でヨーロッパに行く計画を立てるのにも使った。
海外経験がないので、本当にこれでいいのか?などと友達と相談しながらユーロスターのチケットを取ったり、ホテルのブッキングをしたりしたのもこのダイナーだった。
その旅行では、行きのアブダビまでの飛行機が滑走路まで行ったもののフライト時間の制限で飛び立てなくなり、いきなりDelayを食らって深夜1時にホテルに連れ戻された。
その時間からバイキングで夜食を取り、大学の授業で習ったビジネスメール用の英語を駆使して「あの授業がこんなとこで役に立ったな」などと笑いながら深夜3時頃に宿泊先のパリのホテルにメールをしたこともあった。
友達のアメリカ留学の思い出も聞いたこともあった。留学先で好きになった人が母国に帰るから、追いかけて台湾まで行った話を聞いた。
ものすごいバイタリティと愛と決心だな。と思った。真似できないわ、と少しその友人をからかいつつも心からうらやましいと思った。
社会人になってからの苦労話や今後の夢を話したこともあった。
頑張ろうぜーみたいな話をした。でも自分は会社を辞めた。そしてまた渋谷で学生をやっている。
あと、自分が得意なジャンルを持ち寄ってみんなでなんかやれたらいいな。と青臭い夢を語ったこともあった。
今でもまだ若いだろと自分でも思うけれど、あの時にしか味わえない就活の苦労話だとか、社会人一年目のアレコレだったり、まあ大体のことはここで話すことで消化したなと今振り返るとそう思う。
そして、先にも述べた通り、今夏2019年7月21日にビルの建て替えに伴い閉店する予定だという。
学生時代の大部分を渋谷の街で過ごしたから、大分このダイナーにもお世話になった。
自分はレモネードをよく頼んでいて、友達はシェイクがお気に入りだった。
みんなが揃って好きなのはフライドポテトで、結構な量があるので飲み物と一緒に頼んでつまみながら、なんでもない話をひたすらしたなという思い出がある。
そんな時間が好きだったし、思い出の地がなくなるのは素直に寂しい。
今まではそんなことを考えることも少なかったけれど、思い出の地がなくなるのは大人になった証拠でもあるのかなと思う。
再開発で様変わりしていく渋谷の街を見ていると寂しい気持ちになるけれど、そういう意味もあって自分も変わっていかないといけないなと思わされる。
だから最後に閉店する前に、友達を誘ってレモネード、シェイク、ポテトを注文してまた思い出を作って前へ進んでいきたい。
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